岸町一丁目(ピンク部)

 

王子稲荷神社

 

岸町一丁目町内には関東総社の「王子稲荷神社」があります。広重の浮世絵でも有名ですが、大晦日の夜になると王子二丁目の装束稲荷神社の大榎のたもとに関八州の稲荷神社の狐が集まり、装束を整えて岸町一丁目の王子稲荷神社に参るという古い伝承に基づいて、「王子狐の行列」が繰り広げられ、深夜にもかかわらず大勢のお客様がお見えになります。

一方、2月の最初の午(うま)の日が初午、2番目の午の日が二の午で、この日は王子駅から稲荷神社までの8m道路は100を超える露店が道の両側に出て、子供たちのみならず大人たちも昔を思い出してそわそわする日です。神社では「凧市」が催され、「火伏の凧」が授けられます。

その他、上記のような年間2大行事にとどまらず、王子稲荷神社は町内の中心部にあるためもあって、岸町一丁目の地域住民の結束の象徴としても古来厚く敬愛されています。

 

名主の滝公園

 

名主の滝公園は区内でも貴重な緑地(約2万㎡)を提供している公園で、左の写真は南口にあたる 薬医門と言われる格式の高い門です。この区立公園は日中は年中開放、無料で入園できます。

 名主の滝公園は江戸時代末にこの地の名主を務めていた畑野氏が作った庭で、滝と川と池を配した回遊式の日本庭園です。武蔵野台地の東縁を形作る崖線に沿って南北に延びていますので、随所に湧き水による滝ができてそれが名主の滝の名前の由来になっています。深い渓谷を思わせる川と池、滝とモミジの配置は畑野氏が日光・塩原の風景を模して作ったものと言われています。樹木の種類と数も多く、鬱蒼とした森が私たちに安らぎを与えてくれています。いつまでも大切にしたい私たちの宝物です。  

 

音無親水公園

 

音無親水公園は石神井川の旧流路に整備された公園です。この川は、王子付近では八代将軍・吉宗が故郷紀州の川によせて名付けた

“音無川”と愛称され親しまれています。古くから春の桜・夏の青楓と滝あび・秋の紅葉など四季の行楽の名所、景勝の地でした。

 しかし、戦後は石神井川も生活排水などで汚れた川となり、昭和30年代から始まった改修工事によって飛鳥山公園の下に2本のトンネルが掘られ、石神井川流路のショートカットが行われ、残された旧流路に、「かつての渓流を取り戻したい」として音無親水公園ができました。この公園は、全国の都市公園の範たる公園として日本の都市公園100選にも選ばれています。  

 

王子神社

 

音無親水公園から背後の階段を上るとそこは王子神社です。14世紀に当地を治めていた豊島氏が紀州熊野新宮から若一王子 (にゃくいちおうじを勧請し、王子神社としたことから王子という地名の由来にもなっている由緒ある神社で、明治初期には準勅祭社に指定され、今では東京十社めぐり という形で継承されています。

 当神社は岸町一丁目を含む区内29町会が氏子となっていて、例年8月には盛大な例大祭が行われ、有志が奉納する田楽舞とともに親しまれています。

 

 

飛鳥山公園

 

音無親水公園から明治通りを南側に渡ると区立の飛鳥山公園で、この公園は上野公園などと共に明治6年に日本最初の公園として指定された歴史の古い公園です。園内に残る旧渋沢邸は国の重要文化財に指定されています。また園内には3つの博物館(区立飛鳥山博物館、紙の博物館、渋沢資料館)があります。

 歴史をたどってみると八代将軍・徳川吉宗が享保の改革の一環として整備・造成を行い、たくさんの桜を園内に植え、江戸庶民の花見の名所として整備したもので、現在まで変わらず親しまれています。